両国ゼミナール

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2016 / 04 / 16  01:15

歎異抄

「久遠劫(くおんごう)よりいままで流転せる苦悩の旧里はすてがたく、 いまだ生まれざる安養浄土はこひしからず候ふこと、 まことによくよく煩悩の興盛に候ふにこそ。」(歎異抄)

NHKの「100分de名著」は面白いですね。

NHKオンデマンドでは今、親鸞の歎異抄について放送しています。

100分de名著を見るといつも思うのですが、伊集院光の才能はすごいですね。

恐らく知識もあると思うのですが、その知識をひけらかすことなく、視聴者目線でコメンテーターに問いかける話術。

何気なく見過ごしてしまいそうですが、私はしっかり気づいています。

伊集院光の才能を。

 

さて、今回は親鸞の歎異抄です。

親鸞は前から気になっていました。

「善人なほもつて往生をとぐ。いはんや悪人をや」

善人が極楽浄土に行けるのだから、悪人なら言うまでもなく極楽浄土に行ける。

ここに仏教の学問性を見出すことができます。

神道は「道」であって、慣習です。

多くの場合、神道には理由というものがありません。

一方、仏教は、なぜなぜなぜ?を突き詰めていった「学問」です。

親鸞の弟子である唯円は親鸞に言いました。

唯円「念仏を唱えても、極楽浄土に行きたいと思うことができません。なぜでしょうか。」

親鸞「唯円お前もか、私もなんだよ。それは煩悩のせいなんだ。煩悩のせいで極楽浄土に行きたくないと思うからこそ、阿弥陀仏は私を救って下さるのだ。」

面白いですね。

悪人こそが往生をとぐ例ですね。

私も往生できるかもしれませんね。

2017.06.23 Friday