両国ゼミナール

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2016 / 11 / 19  02:50

西南戦争は避けることができた戦争だった。

野に下った西郷隆盛は私学校をつくり、将来祖国を背負う青少年の育成に励みました。

当時、日本国内では士族の反乱が相次いでいました。

各地から西郷のもとに挙兵を促す使者が送られます。

しかし、西郷は大義のない戦をしません。

各地からの要請に対し、西郷は微動だにしませんでした。

そんな時に事件が起こります。

大久保利通は鹿児島の暴発を恐れ、武器弾薬を鹿児島から運び出そうとします。

これに気付いた私学校の生徒が独断で阻止し、その武器弾薬を奪ってしまいました。

つまり、西郷の弟子が政府に対し、武力行使したのです。

さらに政府が西郷暗殺の刺客を送るなどもはや鹿児島は暴発寸前。

これらが西南戦争の引き金となったわけです。

ここで西郷が政府に対し、武器弾薬を奪った私学校生徒を罪人として突き出していれば西南戦争は起こりませんでした。

もめごとを丸く収めたいと考える凡人はそう思うでしょう。

しかし、鹿児島士族の中心にいたのが西郷でした。

政府に対し激高する弟子たちに対し、言いました。

「おいの命、おはんらに預けもんそ。(自分の命はあなた方にあげました。)」

西郷は挙兵を決断します。

大義のない戦をしない西郷にとっての挙兵の大義とは何だったのでしょうか。

西郷は戦の大義についてこう言っています。

「政府に尋問の筋、これあり。(政府に問いただしたいことがある)」

これだけです。

石田三成が徳川家康討伐のために挙兵した時はたくさんの理由を並べましたが、西郷の挙兵の大義はこれだけです。

こうして西郷は死地に赴くのでした。

2017.06.23 Friday